継続は力なり

目標は記事を書き続けること。がんばれ、私。

今日は両親に感謝する日です。ありがとう。

一つ年を取るのは、正直うれしくないですね。

他人事だと思っていた 高齢者 といわれるものに年々近づくと思うと複雑な心境になりますが、だれでも生まれて、年を取って、死を迎える。誰もが通る道です。

 

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今日は母が私を生んでくれた日。

 

本当に両親に 感謝・感謝・感謝 です。

 

昭和の時代、子供心に自分の家が豊かでないことはわかっていました。でも、貧しくて苦労をしたということもなかったので、私の感覚では「一億総中流」の中で育ったと思います。

 

「一億総中流」とは

 一億総中流(いちおくそうちゅうりゅう)とは、1970年代日本の人口約1億人にかけて、日本国民の大多数が自分を中流階級だと考える「意識」を指す。日本より中流意識が高い国にはスペインアメリカ合衆国カナダなどがある[1]が、いずれも国民の数が約1億人ではないため、「一億総中流」という語は日本の場合にのみ使用される。国民総中流(こくみんそうちゅうりゅう)ともいう。

一億総中流 - Wikipedia

 

両親は大家族のために一生懸命働いてくれました。(父・母・父の両親・私たち兄弟3人)

 

母は、洋裁が得意で私たちきょうだいの服はみんな母の手作りでした。中学や高校の制服(セーラー服)も作ってもらったんですよ。すごいですよね。

 

それも、仕事をしたり、大家族のために家事をしたうえでです。

 

さいころは姉妹でおそろいの洋服を作ってもらって着ていました。そんなころを振り返って母に言われてしまった事があります。「おそろいの服を着せていたけど、ある日、E子(私)はY子(姉)とおそろいの服はいやだ。と、言い出した。」と。

要するに、何歳の私が言ったのかは不明ですが、いつまでもおそろいの服ではなく、自分好みのおしゃれな洋服を着たいと、えらそうに自己主張したらしいのです。

小学校で使うランドセルも、当時女の子は「赤色」が定番でしたが、私は「黄色」でした。自分で選んだ記憶はないのですが、多分自分で選択したのでしょう。

 

今でもそうですが、「目立つことが嫌いでおとなしい」のが、私です。でも、「妥協できない事には譲れない。がんこ。」なのも私です。

 

父はなくなりましたが、現在母は要支援の介護サービスを使って暮らしています。いくら元気でも、高齢者の一人暮らしは心配です。ありがたいことに、姉が実家に寝泊まりして母の様子を見てくれています。

 

90歳の母ですが、記憶力・計算力がすごくて、〇〇年〇〇月〇〇日に、何々があった。この介護保険のサービスを使うといくらかかる。とか。私よりしっかりしているんです。私、新人ケアマネジャーですが、こんな利用者さんの担当だったらチョット・・・とびっくりです。

 

姉からの誕生日プレゼントです。今日届きました。ありがとう。

 

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この何年か、この富山のチューリップをプレゼントしてもらっています。毎年楽しみにしています。

 

いい一年にします。🎂